ISEKADOの歴史

天正年間創業の二軒茶屋餅角屋本店から
大正12年創業の醸造業、
そして平成9年創業の
ISEKADOに至るあゆみをご紹介します。

■ ISEKADOの始まり「角屋」の歴史

1575年(天正3年)

勢田川の船着き場にて、鈴木家の先祖である「角屋」が、舟参宮客をもてなす茶屋を創業。この地には2軒の茶屋があったことから「二軒茶屋」と呼ばれるようになり、角屋の餅は「二軒茶屋餅」の名で旅人たちに愛された。

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現在は、餅屋、味噌・醤油醸造、ビール醸造の3事業を営むが、その歴史を紐解けば、旅籠、酒問屋、造り酒屋、砂糖貿易など、時代に応じて様々な商いを手掛けてきた。角屋の歴史は「船着き場という人々が行き交う場所で、いかにお客様を喜ばせるか」と模索し続ける挑戦の積み重ねであった。

1923年(大正12年)

18代目当主・鈴木藤吉が味噌・醤油の醸造業を開始。太平洋戦争中、餅の製造が困難となった時期も、この醸造業が角屋の経営を支えた。創業以来、三重県産丸大豆を使い、木桶で長期熟成させる伝統的製法を守る。
幼い頃から醸造蔵を遊び場とした21代目当主・鈴木成宗にとって、この環境こそが後の微生物と発酵への深い興味を育む原点となった。

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■ ISEKADOの黎明期

1994年(平成6年)

20代目当主・鈴木宗一郎が角屋を「有限会社二軒茶屋餅角屋本店」として法人化。同年、酒税法改正によりビール製造免許の条件が緩和された。東北大学で微生物を研究していた成宗は、「ビールを造れば、また微生物と遊べる」という純粋な思いから、ビール事業への参入を即決。

1996年(平成8年)

ビール醸造所の開業を決定。餅屋前の味噌蔵を改築し、醸造工場の建設に着工する。連日マスコミ取材が殺到し「伊勢の地ビールが開業準備」という見出しが紙面を飾った。伊勢で生まれ育った成宗は「"伊勢のビール"と呼ばれるからには、世界最高峰でなければならない」と決意。

1997年(平成9年)

クラフトビール醸造所の創業と同時に、レストラン「麦酒蔵(びあぐら)」を開業。後に看板商品となる「ペールエール」をはじめ、スタウト、ヴァイツェンの3種類でビール製造をスタートした。

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しかし、当初の賑わったレストランも閑古鳥が鳴き、ビールの品質も安定しない。絶望的な日々に追い詰められた成宗は、この苦境を打開すべく「世界大会で優勝する」と宣言。世界基準を学ぶ最短の道は自らが世界大会の審査員になることだと考え、審査員資格を取得。国内で経験を積みながら、英語を猛勉強した。

1999年(平成11年)

成宗がGreat American Beer Festivalで初めて海外大会の審査員を務める。審査員として多様なビールを多角的に評価することで自社の課題が明確になり、日本では得られない最先端の知見を獲得。世界中の著名な醸造家との出会いは、その後の成長の礎となった。

2003年(平成15年)

世界四大大会の一つ、Australian International Beer Awardsにて「ペールエール」が金賞およびクラス最高賞を受賞。念願の世界タイトルを獲得し、日本のブルワリーとして初の快挙を達成した。

2004年(平成16年)

神宮内宮前のおはらいまちにビアレストラン「ISEKADO内宮前店」をオープン。

■ 「研究開発ブルワリー」の確立を目指して

2009年(平成21年)

成宗が伊勢市内で採取した野生酵母を用いて「IMPERIAL WHEAT ALE Natural Yeast Type-YS」を開発。市場で高い評価を得たものの、発酵に用いた菌叢は複雑な微生物群で構成されており、再現性が低く、同じものを二度と造ることはできなかった。

同年、第1回ブルワリーオブザイヤー受賞。会社自体が表彰を受けたのは初めてで、業界の発展に寄与していると認められたことが、私たちの大きな自信となった。

2011年(平成23年)

成宗が三重大学大学院地域イノベーション学研究科に進学。博士論文研究として、2009年の「IMPERIAL WHEAT ALE Natural Yeast Type-YS」の発酵残渣から酵母を単離し、市場価値の高い商品を生み出す計画を立案。第一フェーズの単離実験により、最終的に1種類の酵母の単離に成功。これは後に「KADOYA1」と命名され、国際データベースに登録された。

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2012年(平成24年)

大学院研究室で単離した酵母「KADOYA1」が S.cerevisiae と同定され、その資化性において実用性が確認された。香気特性分析の結果、アメリカンエール酵母とベルジャン酵母の中間的特徴を持つ、独自の酵母であることが判明。

2013年(平成25年)

神宮外宮前にビールと二軒茶屋餅を販売する直営店「ISEKADO外宮前店」をオープン。

2014年(平成26年)

成宗が単離した酵母「KADOYA1」を用いて開発した「ヒメホワイト」を発売。野生酵母の単離から香気分析、商用利用まで一貫して行うという、他社には真似できない技術により、研究開発型ブルワリーを目指すISEKADOを特徴づけるビールが誕生した。

2015年(平成27年)

成宗が、伊勢で採取した野生酵母の単離と商用利用に関する研究により、三重大学大学院にて博士(学術)の学位を取得。

■ 世界を見据えた成長と拡大

2017年(平成29年)

ビール界のオスカーと称されるInternational Brewing Awards(IBA)にて「ペールエール」が初の金賞を受賞。

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2018年(平成30年)

伊勢市下野町に新工場(下野工場)が竣工。フルオートメーションを備えたドイツROLEC社製40hl 4 Vessels Brewhouseを導入し、東海地区最大級かつ最新鋭のクラフトビール工場として稼働を開始。

同年、東京に初の直営ビアレストラン「ISEKADO八重洲店」をオープン。

2019年(令和元年)

IBAにて新しい下野工場で製造した「ペールエール」が金賞、「ヒメホワイト」が銅賞を受賞。「ペールエール」は2大会連続の受賞となった。

同年、成宗が会長となり、日本のビール文化の裾野を広げることを目指す「日本ホームブルワーズ協会」を設立。

同年、鈴木成宗著『発酵野郎!世界一のビールを野生酵母でつくる』新潮社より上梓。

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■ 未来への価値づくりを目指して

2021年(令和3年)

下野工場にイタリアCOMAC社製高性能缶フィラーを導入。コロナ禍でイタリア人技師が来日できない中、オンラインで指導を受けながら自分たちで調整を完了するという前代未聞の解決策で、自社缶ビール製造を実現。
4か月後、「ペールエール」「ヒメホワイト」「ヘイジーIPA」の3種類を初の自社製造缶ビールとして発売した。

同年、IBAにて「脳がとろけるウルトラヘヴン3×IPA」が金賞およびカテゴリー最高賞のトロフィーを受賞。ISEKADOは3大会連続の金賞受賞を達成。

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2022年(令和4年)

ビアレストラン「ISEKADOエキュートエディション新橋店」をオープン。

2024年(令和6年)

IBAにて「ペールエール」と「なま角スモークオイスタースタウト」が金賞をダブル受賞。日本のブルワリーとして初となる4大会連続金賞という偉業を達成。

同年、ビアレストラン「ISEKADO丸ビル店」をオープン。

2025年(令和7年)

ベトナムの協力工場にて、新たに「ISEKADO International」のブランド名でクラフトビールの製造を開始。

廃校となった旧神社小学校を「神社Cheers」として再生。起業支援と地域交流が融合する「発酵型まちづくり」の拠点として、新たな挑戦を開始。

有限会社高千穂漢方研究所がグループ企業に加わる。